北鎌ゲベ戦記 〜家のこと、庭のこと〜

見習庭師23歳のしごく家庭的な日記。北鎌倉駅前からお送りしております。

8月のこと

8月は全く書かなかった。「書かなかった」のか「書けなかった」のか、今となってはよく分からないが、どちらにしろ書いていない。月日が経って、いつの日にか何もかもを忘れてしまう前に、今覚えていることを回想してみようと思います。ひとつひとつの事実関係よりも、イメージの流れるままに。
 
8月第一週までは、ひどく仕事が忙しかった。6月半ばから約一月半かけた夏の大仕事だった。合計十の現場へ通った。全てがお寺。理由は、お施餓鬼はじめとする盆の法要に合わせてのものが多いから。ひたすら寺、寺、寺。それがようやく終わりました。二日休んでしまったのが心残り。あとは無事やり遂げられてほぼ満足。ひたすら仕事に明け暮れた。庭仕事の合間を縫って、トドラーのサマーキャンプにも何とか参加出来て、こちらも無事終えて、本当よかった。夏を乗り越えて、心身共に鍛えられた。一皮むけた自覚あり。でも達成の悦びは、あまりない。
 
友人の親父さんが死んでしまった。お通夜に行って、そのお顔を拝見したら、あぁ、本当に死んでしまったんだなと、やっとその事実が腹の底に落ちてきて、急にやりきれなくなってしまった。お化粧の施されたお顔は健やかで、目鼻立ちくっきりとしていて、作り物のようにキレイで、悲しかった。そして残された家族のことが心配になる。なんて声をかけていいか分からない。痛みはこれから先しばらく続くだろうけれど、出来るだけ早く元気になってほしいと願う。
 
母と祖父と長野に帰省した。長野は祖父の故郷で今も親戚が暮らしている。幼い頃は毎年夏に帰っていた。毎度やることは同じで、子どもたちは山で遊び、親戚一同顔を合わせ、墓参りに行った。楽しかった。そんな当時が懐かしくて、ぼくは久しぶりに帰省に付き合うことにした。一泊二日と短かったけれど、総じてよかったと思う。山遊びは庭木の手入れに変わり、集まった親戚は数少なく、お墓は(職業病で)念入りに掃除した。過去をなぞりながら、今を確かめた。多くのものは変わってしまった。けれど唯一「遠目に映る風景」だけはそのままで。街を取り囲む壮麗な山々と、広大な夏の空。これだけは、昔みていたそれと何ひとつ変わらなかった。変わるものと変わらないもの。ぼくはもう子どもじゃない。
 
久しぶりに腰を据えて母と話した。「家族」のことが少し進展した。それが良い方角か悪い方角かは分からないけれど、たしかに、前へと進んだ。「母親であることから逃げ出したい」と面と向かって言われた。あまりにもあっけらかんに言われたので、つい笑ってしまった。でもこれでようやく、ぼくと彼女とをつなぐ最後の赤い糸が、プツンと切れたのだ。そこには未練も執着もなく、むしろ清々しさすら感じられた。そろそろ限界だと思っていたので、今回話せて本当よかった。またひとつ肩の荷が下りる。とはいえ母と長男二人の関係性が変容(進展)したところで、父のことと妹のことは依然として残っている。「家族」全体の問題はまだまだだ。こちらも来年を目処に片をつけたい…って自分は何をしてるんだ、とも一方で思う。家族であることと家族でないことの境界線は、いったいどこにあるんだろう。
 
ところで、ぼくはおじいちゃんが大好きだ。こんな言い方していいのか分からないけど、まったく傑作な男だと思う。今年米寿を迎える老師、曰く、「絵で食べていく」のではなく「絵を食べて生きていく」のだ。
 
ぼくは今、一足遅い夏休みの最中にいる。ここ数週間のあいだに、色々の物事が終わりを迎え、そして前へと進んだ。秋の虫が鳴き始め、夏ももうおしまい。やさしさとかなしさに挟まれて。この二つの気持ちは裏表なのだと、ここにきてようやく気がついた。そんな8月だった。そしてこれまで何度も考えたことをまた考えた。ぼくは将来、どんな人たちと暮らし生きていくのだろう。
 
 
p.s.
シールズも解散した。何人か友だちがいる。だから「お疲れさま」以外の言葉は出てこない。ホントお疲れ。あと、若いんだからいっぱい食べなさいって言いたい。