北鎌ゲベ戦記 〜家のこと、庭のこと〜

見習庭師23歳のしごく家庭的な日記。北鎌倉駅前からお送りしております。

7月21日(木)

つらい。自分がなんなのかよくわからない。このまま庭師をやってていいのだろうかって、何度も何度も考えてしまう。こころが分裂してしまっている。あちらこちらそちらにやりたいことが散らばっている。あるいは「やるべきこと」なんてのがあるのか。あるなら教えてほしい。その通りにするから。

 

毎日仕事に行っている。庭師として庭の掃除をしている。これはこれで毎度達成感があっていい。けれど真面目に仕事をすればするほど、他のことに割く時間、余裕は減っていく。ここで分裂したこころが軋み始める。今日は“高江”だった。FBに“高江”情報が流れてくる。悪いけど俺は“高江”に関してよく知らない。悪いけどって、一体誰に対して悪いのかのかもよくわからない。けど無関心でいようという気にも到底なれない。なれないんです。なんでだ?社会問題に関心の高かった五年前の自分と、庭師修行にだけ集中する今の自分のあいだで葛藤が起きているのかもしれない。ひたすら庭仕事に専念するのはそれはそれでいいことなのだけど、おいおい“高江”はどこいった?ってなる。職人は無関心でいいんですか?って。そもそも同じ国に暮らす自分にとって“高江”のことは無関係ではない。でも、そんなこといったらこの世界に無関係の物事なんて何ひとつないんじゃないかって本質的なことを考えてしまう。全てのことは関係している。その無数の問題群の中でなんで“高江”だけ?って…書きながら、自分うがってんのかなあとか思ったりもする。つら。

 

だから、どこに矛先を向けたらいいのかがよくわからないのかもしれない。この前の参院選の時もそうだった。いろんな人間関係が見えてしまって、一思いに「ひとつ」を選べない。迷路の中でひとりガチガチに固まってしまう。とにかく、ずーーーーーーっと迷い続けている。不器用な生き方をしている、という自覚があって、もうウンザリしている。もっとカンタンな人間になってしまった方が楽だと思う。ズバ!ズバ!ズバ!って取捨選択しまくって超わかりやすく生きる。あるいはあちらこちらそちらのやりたいことを、全部やる。やれる器量、実力をもつ…って、これはまあ不器用な自分には無理だ。別に卑下してるとかじゃなくてこれだけは全く向いてない。23年生きたから、さすがにそれくらいは分かる。

 

問題は孤独であることだ。たまに、果てしない孤独を感じることがある。この家は時々にぎやかなので、その反動の時間なのかもしれないけど多分それだけじゃない。自分自身の中に致命的な原因がある。それは間違いない。こうやって書くのはすごい怖いんだけど、正直にいうと、ぼくは、生まれてこの方「本当の仲間」というものにまだ出会えていない、ような気がしています。今の友だちにはごめんなさいって言うしかない。つら。もちろん嫌いじゃないんだ、ってこの態度もまた優柔不断な気がして嫌だ。要は、友だちは友だち、でも「本当の仲間」とか「同志」ではないって、感じなのかなあ。例えば、以前つるんでいた連中はかなり社会派で政治的だった。自分はもっと卑近なことに汗水垂らしながら生きてきたくて、離れた。かといってオーガニック系の人たちとつるんでみたら、社会から離れすぎていて、アナーキー過ぎて、なんか違うなと思った。今つるんでる人たちは、起業とかベンチャーとかそういう系で、カタカナ英語をよく使ってくる。もちろん自分の畑ではない。そして職人の人間関係は、ひたすら自分の腕だけを磨きなさいって世界だから、いろいろ複雑に考えてしまう自分にとってはどこか物足りない。家族は、もう壊れてしまった。だから、結局どこにも居場所がなかった。「私は誰の味方でもありません」なんて言うと当たらずとも遠からずか。でも、そう決めつけてしまうにはまだまだ早いとも思う。いつの日か、相性抜群ドンピシャリの人たちと巡り会えるかもしれないから。それは、しごく家庭的で質実的に生きていて、でも世界で起きていることもきちんと感受していて、しかもそれが生活の中に活きている人たち。薄っぺらなきれいごとだけじゃなくてちゃんと闇を抱えている人たち。それを素直に表現する人たち。いつか出会いたい。出会えたら一緒に暮らしていきたい。一緒に表現ができたら絶対楽しいだろうなあ。でも、結局出会えないかもしれない。あるいは、ひょっとするとそんな人間は自分の他にはいないかもしれない。そしたら生涯孤独だ。

 

人間は本来ひとりでも、精神的に安定して生きていけるらしい。それが「自立」だ。自分はこんなに悩んじゃって、分裂しまくって、全然自立できていない。くやしい。みんなはこんなことってないのだろうか。ないのなら、自立した強いこころの持ち主だ。うらやましい。

 

早川義夫さんの『この世で一番キレイなもの』だけが、本当に唯一それだけが、こんなぼくの弱いこころを優しく慰めてくれる。この歌のおかげで、とりあえず死のうという気は一切起こらない。いつだって救われる。命は保障されるけど、その先いかに生きるかについては、自分で考えていかなくちゃいけない。まだまだ悩まないといけないのか。人生って。

 

まあ、面白いとは思う。つらくてつらくて。生き延びたい。