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北鎌ゲベ戦記 〜家のこと、庭のこと〜

見習庭師23歳のしごく家庭的な日記。北鎌倉駅前からお送りしております。

7月22日(金)

雨。午前中待機した後、小降りになったので午後から出勤。長かった建長寺もついに今日でキメ。5日(火)から入ったので二週間以上かけたことになる。長かった。

 

そして最終日の今日の作業は、なんとビャクシン下の大掃除。樹齢760年(つまり鎌倉時代から)といわれる大木は鎌倉市指定天然記念物です。実はこのビャクシン、個人的にすごく思い入れのある樹です。鎌倉に越して今の造園屋さんで働くことを決めたのが昨年の10月。その頃に、当時いち観光客として立ち寄ったここ建長寺で、ぼくはこの巨大なビャクシンに初めて出会いました。「七六〇」という悠久の命を目の前にして、ちっぽけな人間はただただ立ち尽くすだけで。やっぱり自然はすげーなーと。そしてその足下で「自分もこれからがんばろう、庭師としてやっていこう」と、気持ち改まってみたり。だからここの場所は、鎌倉で一人前の庭師を志す自分の原点といえます。初心の樹。まさかそのビャクシンの手入れを自ら出来ると思っていなかったので、もう感無量で。ふと、ついにここまできたか、とかなんとか思いました。まだ一年も経っていないのだけど、こう、なにかこみ上げてくるものがあったのでした。

 

夏の大仕事の内、最大の現場が終わりました。8月第一週目までこの忙しさが続く予定なので、残りだいたい半分!ここで倒れるわけにはいかないので、よく寝て、ちゃんと食べて、健康第一で後半戦に臨まないと!ようやく体も強くなってきました!一方、心の方はまだまだで…。仕事に集中したいのに余計なことに右往左往してしまう今日この頃です。

 

7月21日(木)

つらい。自分がなんなのかよくわからない。このまま庭師をやってていいのだろうかって、何度も何度も考えてしまう。こころが分裂してしまっている。あちらこちらそちらにやりたいことが散らばっている。あるいは「やるべきこと」なんてのがあるのか。あるなら教えてほしい。その通りにするから。

 

毎日仕事に行っている。庭師として庭の掃除をしている。これはこれで毎度達成感があっていい。けれど真面目に仕事をすればするほど、他のことに割く時間、余裕は減っていく。ここで分裂したこころが軋み始める。今日は“高江”だった。FBに“高江”情報が流れてくる。悪いけど俺は“高江”に関してよく知らない。悪いけどって、一体誰に対して悪いのかのかもよくわからない。けど無関心でいようという気にも到底なれない。なれないんです。なんでだ?社会問題に関心の高かった五年前の自分と、庭師修行にだけ集中する今の自分のあいだで葛藤が起きているのかもしれない。ひたすら庭仕事に専念するのはそれはそれでいいことなのだけど、おいおい“高江”はどこいった?ってなる。職人は無関心でいいんですか?って。そもそも同じ国に暮らす自分にとって“高江”のことは無関係ではない。でも、そんなこといったらこの世界に無関係の物事なんて何ひとつないんじゃないかって本質的なことを考えてしまう。全てのことは関係している。その無数の問題群の中でなんで“高江”だけ?って…書きながら、自分うがってんのかなあとか思ったりもする。つら。

 

だから、どこに矛先を向けたらいいのかがよくわからないのかもしれない。この前の参院選の時もそうだった。いろんな人間関係が見えてしまって、一思いに「ひとつ」を選べない。迷路の中でひとりガチガチに固まってしまう。とにかく、ずーーーーーーっと迷い続けている。不器用な生き方をしている、という自覚があって、もうウンザリしている。もっとカンタンな人間になってしまった方が楽だと思う。ズバ!ズバ!ズバ!って取捨選択しまくって超わかりやすく生きる。あるいはあちらこちらそちらのやりたいことを、全部やる。やれる器量、実力をもつ…って、これはまあ不器用な自分には無理だ。別に卑下してるとかじゃなくてこれだけは全く向いてない。23年生きたから、さすがにそれくらいは分かる。

 

問題は孤独であることだ。たまに、果てしない孤独を感じることがある。この家は時々にぎやかなので、その反動の時間なのかもしれないけど多分それだけじゃない。自分自身の中に致命的な原因がある。それは間違いない。こうやって書くのはすごい怖いんだけど、正直にいうと、ぼくは、生まれてこの方「本当の仲間」というものにまだ出会えていない、ような気がしています。今の友だちにはごめんなさいって言うしかない。つら。もちろん嫌いじゃないんだ、ってこの態度もまた優柔不断な気がして嫌だ。要は、友だちは友だち、でも「本当の仲間」とか「同志」ではないって、感じなのかなあ。例えば、以前つるんでいた連中はかなり社会派で政治的だった。自分はもっと卑近なことに汗水垂らしながら生きてきたくて、離れた。かといってオーガニック系の人たちとつるんでみたら、社会から離れすぎていて、アナーキー過ぎて、なんか違うなと思った。今つるんでる人たちは、起業とかベンチャーとかそういう系で、カタカナ英語をよく使ってくる。もちろん自分の畑ではない。そして職人の人間関係は、ひたすら自分の腕だけを磨きなさいって世界だから、いろいろ複雑に考えてしまう自分にとってはどこか物足りない。家族は、もう壊れてしまった。だから、結局どこにも居場所がなかった。「私は誰の味方でもありません」なんて言うと当たらずとも遠からずか。でも、そう決めつけてしまうにはまだまだ早いとも思う。いつの日か、相性抜群ドンピシャリの人たちと巡り会えるかもしれないから。それは、しごく家庭的で質実的に生きていて、でも世界で起きていることもきちんと感受していて、しかもそれが生活の中に活きている人たち。薄っぺらなきれいごとだけじゃなくてちゃんと闇を抱えている人たち。それを素直に表現する人たち。いつか出会いたい。出会えたら一緒に暮らしていきたい。一緒に表現ができたら絶対楽しいだろうなあ。でも、結局出会えないかもしれない。あるいは、ひょっとするとそんな人間は自分の他にはいないかもしれない。そしたら生涯孤独だ。

 

人間は本来ひとりでも、精神的に安定して生きていけるらしい。それが「自立」だ。自分はこんなに悩んじゃって、分裂しまくって、全然自立できていない。くやしい。みんなはこんなことってないのだろうか。ないのなら、自立した強いこころの持ち主だ。うらやましい。

 

早川義夫さんの『この世で一番キレイなもの』だけが、本当に唯一それだけが、こんなぼくの弱いこころを優しく慰めてくれる。この歌のおかげで、とりあえず死のうという気は一切起こらない。いつだって救われる。命は保障されるけど、その先いかに生きるかについては、自分で考えていかなくちゃいけない。まだまだ悩まないといけないのか。人生って。

 

まあ、面白いとは思う。つらくてつらくて。生き延びたい。

 

7月19日(火)

建長寺。入口周辺の刈込み。奥から手前に攻めてきてついにここまで来たか。それにしても今日は暑い。汗が噴き出す、そんな午後のこと。

 

親方「ガリガリタ〜イム」。

 

突如ガリガリ君が配給される。毎年夏の恒例らしい。ただ例年は8月に入ってからだとうことで、今年はかなり早めのガリガリタイムなんだそう。それだけ暑いのか。木陰に隠れながら、野郎三人でガリガリした。

 

今日は、今年初めて「夏の雲」をみました。入道雲とまではいかないけれど、モクモク高く積み重なる積雲というやつです。やっぱり夏の空は雄大で、いいな。

 

7月15日(金)

建長寺。東司(とうす)周辺の掃除と、慰霊塔周辺の刈込み。昼の弁当を食べていると、ぽつぽつと雨。次第に大降りになり、13時にはバケツの水をひっくり返したような「滝落とし」の雨。いったん軒下に避難するものの、待てども待てども止む気配ないので結局カッパ着てGO。こういうのももう既に慣れました。むしろ人通りが減って作業しやすいかも。

 

滝の降る無人の建長寺は、荘厳でした。

 

7月11日(月)

今日からテラダさんが応援に。さっそく二人で建長寺。他の人たちは別の現場へ。夏は大きな現場が多いのでこうして分散して同時進行させることが多いのです。

 

驚いたこと。なんと、テラダさんは木鋏(和鋏)と折鋸しか腰に下げていなかったこと。切箸も剪定鋏も持っていなかった。それで親指くらいの太さの枝は木鋏で挟んでしまうらしい。力技とも言えますが、一応コツを教えてもらう。試してみたらたしかに切れた。これは完全に目から鱗でした。勉強になるなあ。テラダさんのいる内にいろいろと技を盗もーっと。最後に「切箸で自分の指を切り落とさないように」とからかわれてしまった。

 

帰宅後確認すると、真山さんは当選していて、ひとまずホッとしました。けど神奈川県の定数3/4は与党が占めていた。くやしい。東京の結果も見て、更に愕然とした。あれだけ友人たちが熱心に活動していても、まるでその努力をあざ笑うかのように、自民公明の候補者達は圧倒的得票数を獲得して当選していた。まさしく君臨していた。今回初めて選挙権を手にした十代の投票傾向も自民党が約4割でトップだと読んで、まじかーと思った。18歳、19歳のリアルが自分の実感とだいぶズレていて、これはかなり効いた。これが民意なのか。これが民主主義なのか。それとも衆愚政治?…とか少しでも思ってしまった自分はなんて偉そうなんだろう。でも、やっぱりなんかおかしいと思う。なんだろうこの違和感は。誰が悪いんだ?何が悪いんだ?そして、三宅洋平みたいな「星」が現れたのか。賛否両論。良いとか悪いとか。それが危険だとかどうとか。実際どうなんだ。「ああいう目した奴」がひとりくらい国会行ってくれたらなんか変わるような気もするけど、その変化が時に危険でもあるのか…。もう何がなんだかわかりません。投票率は全国でおよそ55%と、結局たいして上がらなかった(これについてはぼくも本当ごめんなさい)。

 

今回の選挙は、自分にとっては最悪の選挙となってしまいました。もっといいものにしたかったし、過程もずっと楽しみたかったのに。日曜に集まろうと言っていたのも失敗に終わってしまって。やるせないまま、しばらく茶室でひとり萎れて動けず。なんなんだ、この惨敗感は。

 

外ではヒグラシが鳴いている。あんなに寂しい声で鳴かなくてもいいのに。 

 

 

7月10日(日)②

19時50分、大船行政センター着。
 
あなたの投票所はここじゃありませんと言われた。
まじか。「山ノ内公会堂です。北鎌倉の方です。」
 
19時53分。とりあえず、南へ走った。ギリギリ滑り込めるかもしれない。1%くらい可能性があったから、もう、辛くて辛くて、走り出した。そうするしかなかった。あれだけ選挙に関心あるアピールしといて結局自分は投票出来ませんでした、はないでしょうに。だから走った。けれど、山ノ内公会堂がどこにあるかそもそも分からなかった。でもとにかく、南へ!!南へ!!!そして、300mくらい行ったところで、道に迷った。ダメだ。あきらめた。20時。ごーん。
 
最低最悪の気分だった。来た道を引き返しながら、自分、ほんっとダメだなと思った。肝心な時にはいつだってこうだ。ごめんなさい。日本のみなさまごめんなさい。このダメ人間をどうか許さないで。
 
「私に謝ることじゃないんだよ。 自分で今度からちゃんと行けるように、行動して。」
 
FUCK ME.
 

7月10日(日)①

建長寺。花塚、茶筅(ちゃせん)塚周辺の掃除。親方曰く、禅宗とお茶には深い関わりがあるそうで。近頃本当よくいろいろと教えてくれる。期待に応えられるよう自分もがんばらないと。
 
仕事終わり。急いで神奈川県の候補者について調べ直す。民進党真山勇一さんか共産党のあさか由香さんが良さそう。とにかく定数4の内、3/4を与党に取らせないのが重要らしい。たしかにとらせたくない。迷った挙句、真山さんにすることに。
 
ぼくは、常々「日本社会、マスコミュニケーションうまくいってねーなー」と思っています。情報が、人びとの想いが、意志が、伝わるべき人たちのもとに、伝わるべき時に、伝わるべき形のまま、まったく届いていないなあと。一方でネットというニューメディアが登場しているのだけれど、日本人口のざっと半分くらいは未だオールドメディア(新聞とかTVとか)にかぶりついたままなんじゃないかって、疑っている。ぼくの周りにはハイソな人たちが多いけど、全体から見たらそれはごくごく一部で、例えばFBで情報発信したって結局同じハイソなグループの中をぐるぐる回ってるだけなんじゃないかって。それ以外の大多数はそもそも蚊帳の外なんじゃないかって。だからこそ、マスコミは(これからもしばらくは)超大事だと思う。良質な情報をきちんと回してもらいたいものです。ぼくは知っています。大手マスコミの記者さんにも結構いい方たちがいます。いい取材をする。けれど、残念ながら紙面・画面にはそのままあがってこない。マスコミ機構のトップが旧時代人間によって固められているんじゃないかと思う。体質改善が急務なんじゃないだろうか。まずはそこからなんじゃないか。
 
まあ、よく知らないんだけど。
 
元・日テレキャスターで、特定秘密保護法反対で、本人曰く「ブレない」、真山さんに国会に行ってもらいたいと思った。正直どの候補者も諸手を挙げて応援とまではいかないのだけれど、少なくともそういう人は必要だと思った。19時半家出。電車に乗って大船へ。
 
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とかなんとか。